コウヘイログ #4 ローカルレースからオリンピックまで、様々なBMXレースの仕組み

16こんにちは!康平です!
第4回となる今回は、国内レースの仕組みや国際レースなどの紹介を、僕自身の体験を含めてしていきたいと思います。
僕がレースに参戦し始めたのが、7歳の時でした。まだまだコースを走るのが精一杯で、順位は二の次だったと思います。
その翌年から全国を回り、ジャパンシリーズ(通称Jシリーズ)に参戦し、そこから様々な規模のレースへ参加し始めました。

ジャパンシリーズとローカルレース

僕がホームコースとして一番身近に参加しているTBS緑山スタジオで行われているレースは、JOSFという団体が主催しており、主に関東に住んでいるライダーが出場します。全国にもそれぞれ協会があり、緑山のようにローカルレースを行っています。
これらのレースは、その地域のみのライダーが参加し、年齢やレベルなどで細かく分けられたクラスでそれぞれ1年間の総合ポイントで年間ランキングを争います。その地域だけの選手が出場するので、ローカルレースと呼ばれます。
ジャパンシリーズはJBMXF(全日本BMX連盟)という日本のBMXレース全体を取りまとめている協会が主催しています。
1年間を通して5戦行われ、取得したポイント順に日本全体でのランキングを争います。そのランキングをもとに、世界選手権の代表を決めたり、強化指定選手を決めたりします。
bmx-5中でも全日本選手権はこのジャパンシリーズのなかに含まれており、1年間に1回しか行われない事や、全日本チャンピオンというタイトルを得られる唯一の大会なので、国内最大のビッグレースです!
全日本チャンピオンのタイトルを取得することは、年齢別クラスでも簡単に取れるものではなく、大変価値のあるものです。
ちなみに僕はアマチュア時代に4回タイトルを取得し、ジュニアエリートの時は2連覇を果たしました。これまでに通算6回全日本チャンピオンのタイトルを取得しています。自慢です。
僕が初めて全日本選手権で優勝したのは、12歳の時に大坂の大泉BMXトラックで行われた大会でした。
試合の前日に大クラッシュをして、顎が通常の3倍に膨れ上がりました。レースに出るか迷いましたが、痛みよりレースに出たい気持ちがまさり出場。
そんな状態で出場した全日本選手権。なんと、いつも負けていたライバルに勝利し優勝!今思い出してもあの日の喜びが蘇ってきます。嬉しかったなぁ。

その後何度もタイトルを獲得しましたが、一番初めに獲得した時の喜びには勝るものではありませんでした。全部嬉しかったですけどね!

世界選手権

120525yoshii世界選手権は世界中の自転車競技を統括するUCI(国際自転車競技連合)という団体が主催する一年に一度だけ行われる、BMXレーサーにとっては最も大きなレースです。
チャンピオンクラスと呼ばれる、エリートライダーのクラスと、チャレンジクラスと呼ばれる年齢別クラスがあり、5歳のキッズライダーから30オーバーの大人までが同じ会場でレースをし、競い合います。世界中の国々のライダーが一斉にレースをしている光景は、どのレースも本当に大迫力で、見ていると、自分もレースをしているかのように感じてしまいます。
とにかくどのレースもレベルが高く、人数も迫力も日本とは桁違いです。

世界選手権に参加するためには、まず国内で代表に入らなければなりません。そのためには先ほど紹介した、Jシリーズでポイントランキング上位に入ることが必要です。また、指定されたレースに参加して選出されれば、代表入りすることも可能です。

MG_1759僕はこれまで世界選手権に、8大会参戦し、内3度決勝に残りWゼッケンと呼ばれる各年齢クラスの世界8位までが手にすることが出来る特別なゼッケンを獲得することができました。最高位は中国大会での5位入賞でした。今のキッズライダー達は毎年のように決勝に残り、優勝を争うレベルにまで成長しています。同じ日本人として誇らしく思います。

僕が印象に残っている大会は2010年に行われた南アフリカ大会です。この時期は本当に調子が良く、誰にも負けない気さえしていました。
予選から1位を走り、1/8,1/4,1/2と順調に勝ち進んで行き、決勝では表彰台に立つことを目標とし、スタートゲートにイン。
しかしまさかの決勝でスタートミス。ラインを塞がれてしまい前に出る事ができず、6位に終わりました。
あの時ミスをしなければと今でも思います。

現在は最上級のエリートクラスとなり、世界選手権や各大会のレベルも本当に高いですが、オリンピックへの夢を叶えるために一歩一歩進んで行こうと思っています。

オリンピック

2008年北京オリンピックからBMXレースは正式種目となりました。
オリンピックに出場するためには、簡単な説明をすると、まずワールドカップなどのポイント取得で国同士で参加枠を争います。そして参加枠を得た国の中で出場選手を選考します。
北京オリンピックでは1人の日本人ライダーが出場しましたが、2012年のロンドンオリンピックでは惜しくも出場権を逃してしまい、日本人がロンドンオリンピックの舞台を走る事はありませんでした。
しかし現在では日本人エリートライダーのレベルも上がり、2013年世界選手権では7位に入賞するほどに成長しています。この僕もオリンピックでの活躍を夢見て、日々トレーニングに励みながら、こうしてコラムなどを書かせて頂いています。

2016年のリオデジャネイロオリンピックまで残り2年となり、選考大会もスタートしました。僕も今年に入り、ワールドカップを2戦出場しましたが、結果は予選敗退と世界の壁を目の当たりにしています。今年は怪我も多く、調子もあがりません。
BMX人生最大のバッドイヤーで、オリンピックへの険しい道に心が挫けそうになる時もありますが、それでも成し遂げたい事が僕にはあるので、絶対に諦めません。

夢の実現と、BMXの楽しさを1人でも多くの人に伝えられるように、これからも活動していきます!

投稿者プロフィール

吉井 康平
吉井 康平 (東海大学)
1995年生まれ、家族と共に見に行ったBMXレースに一目惚れし、7歳からBMXを始める。
2012年、2013年ジュニアクラス2連覇。2013年アジア選手権ジュニアクラス優勝。
2014年からは国内最上位クラスであるエリートクラスに参戦。全日本選手権では決勝進出し、トップに迫るもゴール直前で接触転倒し8位。
ホームであるJOSF緑山のトラックでは初心者講習会の講師も務め、子供たちや保護者からの信頼も厚い。
2016年リオ、2020年東京オリンピック出場を期待される若手選手の一人である。