コウヘイログ #2 BMXに夢中な家族

BMXスタート!!

吉井康平です。僕は7歳でBMXをスタートしました!
といってもクラブチームに入ったわけではないので最初のころは友達は1人も居なかったかな?

とにかく走る事に夢中だった

コースでの練習中も、最初は他に目もくれずに黙々と走っていたような気がします。とにかく覚えているのはとても楽しかったということ!

その当時はサッカーもやっていたけど、BMXに乗っている時の「夢中」な感じは、サッカーより断然上。本当に夢中になって走っていました!何とも言えない、ワクワクする感じがBMXに乗っていると、ずっと続いていました。

努力は夢中に勝てないと言うけど、まさにその通りだと思います。
僕は夢中になって乗っていた事もあり、グングン成長!!
ロールができるようになり、ジャンプができるようになり、旨く走れるようになるほどにBMXが楽しくなっていきました!

家族が1つのチーム

こうしては始まったBMXが中心の生活。一度見たレースでBMXの虜になった親子は、その翌年から全国を回り始めました。家族総出、車一台に荷物をパンパンに乗せて、遠い所では広島まで車を走らせます。
僕はここにBMXレースの魅力の一つがあると思います。BMXを始めたら、多くの場合最初のコーチは親です。親と子が同じ目標に向かい、一緒に頑張る。結果に一喜一憂し、一緒に成長していく。次第にリザルトも良くなってきたら、もうBMXの虜ですね!!中にはレースを始めちゃうお父さんお母さんだっていますから。笑

BMXライダー(子供)とその家族との距離は、他のスポーツに比べたらとても近いと思います。レースをするのは子どもだけでも、応援している家族も一緒に走っているのです。

吉井家の場合

吉井家の場合は、BMXを始めたときから父親がコーチとして僕に教えていました。

父親はBMXをしている家族の中でも、トップクラスの熱心さだったので、レースの無い日でもコースに連れて行ってくれたし、毎晩のようにビデオをチェックしては、自分なりのアドバイスをくれました。そんな熱心な父親だから、厳しさもトップクラスでしたね!笑

熱血指導中の父

レースで負けたらもちろん、少しでも練習を怠けたら、毎回何時間も怒られていました。時にはレースバイク、ジャージ、ヘルメットなどを玄関から投げられたこともあります。 しかしその度に母親がなだめてくれてました。

よくBMXを続けているなーと思うけど、この母親の存在が大きいかもしれません。
父親がコーチとして熱心に指導する。母親が優しくフォローする。これの繰り返しこれが吉井家のスタイルでした。

今の僕のライディングやスキルは、父の人一倍熱心な指導があったからだと思います。今でも父とはぶつかる事がありますが、僕の事を誰よりも応援してくれているのは分かっているので、とても感謝しています。
母は今でも優しく応援してくれていて、父とは違う背中の押し方をしてくれます!
昔と変わらず、暖かく応援してくれる両親には、感謝してもしきれません。
吉井家は、昔に比べて家族でコースに行く事も少なくなりましたが、今でも形を変え、1つのチームとして活動継続中です!!

友達

リョウスケ&コウヘイ

リョウスケ&コウヘイ

BMXを楽しんでいると、年齢の近いライダーと自然と友達になっていきました。JOSF緑山のローカルライダーや、全国各地にも同年代の友達ができ、現在でも交流は続いています!10年以上の付き合いになる友人もたくさんいます。
その中の1人が、古幡 陵介(写真)ですかね!笑
僕の中にある、BMX関係の記憶の中には、常に彼がいるように思います。本当に小さい頃から現在に至るまで、1番近くで、1番たくさん一緒に乗ったりレースをしてきたのが彼です。

彼だけに限らず、僕には日本中に良き友人がいます。小さい時からの友人です。きっとこれから先も付き合いは続いていくでしょう。
BMXを通して、一生涯の友人たちに出会えた事は、僕にとってかけがえのない財産です。

ローカルレース

ジャンプトレイルにて

投稿者プロフィール

吉井 康平
吉井 康平 (東海大学)
1995年生まれ、家族と共に見に行ったBMXレースに一目惚れし、7歳からBMXを始める。
2012年、2013年ジュニアクラス2連覇。2013年アジア選手権ジュニアクラス優勝。
2014年からは国内最上位クラスであるエリートクラスに参戦。全日本選手権では決勝進出し、トップに迫るもゴール直前で接触転倒し8位。
ホームであるJOSF緑山のトラックでは初心者講習会の講師も務め、子供たちや保護者からの信頼も厚い。
2016年リオ、2020年東京オリンピック出場を期待される若手選手の一人である。